はじめに
ウクライナの報道には世界中の人が心痛めていると思う。私もその一人だ。
自分は、自然と触れ合って、家族と過ごし、たまに友人と楽しいお酒が飲めれば、それで人生幸せだと思っている。世界の多くの人の幸せとはこの程度のものだろう。
その程度の幸せを実現するために、なぜ戦争などが必要になるのか。この歳になっても自分は人間というものを本質的に理解できていないと痛感する。
一方で、ウクライナの報道を通して、「日本の未来はどうあるべきか?」ということを否が応でも考えさせられる。自分の考えるところを国というレベルと個人というレベルで書き記したい。
国として
国というレベルでみたときに、「ウクライナが核を放棄したためにこのような結果になってしまったので、日本も核を持つべきだ」という論調がネットで散見される。
ウクライナの歩んできた歴史もあり、複雑な問題だと言うことは重々承知の上、至極簡単に言えば、いじめっ子といじめられっ子の構図であるような気がする。
いじめっ子はみんなスタンガンを持っている。いじめられっ子もいじめられないためにスタンガンを持つようになった。しかし、ある時、別のいじめっ子に言われた。「おまえがいじめられそうになったら俺たちが助けてやるから、スタンガンなんか持つなよ」と。その言葉を信じて持つのをやめた。そのとたん、またいじめられることになった。助けてやると言った別のいじめっ子たちは見て見ぬふりをして、助けてくれなかった。
こんなことがクラスの隅っこで起こったら、傍観していたクラスの他の生徒たちが「やっぱり俺もスタンガン持っとこ」と思うのは自然な流れだと思う。
自然な流れではあるが、一方で、それが正解だとも思わない。自分の子が「いじめられないためにスタンガンを持ちたい」と言ってきたら、「そうか、じゃあ買ってやろう」という親はそうはいまい。
叶うか叶わないかは別にして、やはり一番にやるべきは「みんな、スタンガンを持つことをやめよう!」とクラスの前に立って声高に、そして粘り強く説得を試みることだと思う。たくさんのいじめっ子たちと対峙して、丸腰でそんなことを言うのは勇気がいることだと思う。
日本はそんなことをせずスタンガンを持って、クラスの前に立って理想論を述べるのは他の国に任せておけばいいのかもしれない。
しかし、日本はスタンガンの恐ろしさを実際に経験したクラスで唯一の生徒である。スタンガンを持たずにクラスの前に立つ勇敢な生徒は日本でなければならない、と信じている。
個人として
個人のレベルでも考えてみたい。「ウクライナが核を放棄したためにこのような結果になってしまったので、日本も核を持つべきだ」という論調がネットで散見される、と上で書いた。
国にそのようなことを要望するのは個人の自由だが、冨岡義勇にきっとこう言われるだろう。「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と。
まずは有事の際に備えて、個人レベルでできることを考えるべきだ。日本は軍隊を持とうにも、法整備以前に少子高齢化はますます進んでいき、もう数十年もすれば老人大国になることは目に見えている。数少ない若者を軍隊に入れて、命を賭してまで老人大国を守らせる?そんな都合のいい話ある?
話は変わるが、私は職場にて、たまに転職したいという後輩に直面する。残って欲しいと説得はするが、本人の人生なので、最後はその子の決断を応援するようにしている。
そんなときに思うのは「優秀なやつほど出ていくな」ということだ。きっと口外しないだけで、転職活動をしたけども、失敗したやつはたくさんいる。転職活動して、他社に認められ上手くいったやつだけが辞めていく。なので、優秀なやつが出ていくという印象はあながち間違っていないと思う。もちろん例外もある。俯瞰的に見れば、ということだ。
この経験を通して、私は強い組織とは「転職しようと思えばできるけど、しない人たちで構成された組織」だと思っている。言い換えれば、転職できるだけの能力を日頃から自己研鑽している人たちで構成された組織だ。できるのにしない理由は、処遇(サラリー、勤務地、福利厚生、ポジション、人間関係など)のいずれかを気に入っているのだろうが、結局は愛社精神ということになるだろう。
私が自分の子供にアドバイスするとしたら、「将来、海外で住もうと思ったら、住めるだけの準備をしておけ」と言うだろう。準備とは語学だけのことではなく、語学以外の強みであったり、資金の問題であったり、人生設計そのものも含む。
最悪、日本丸という船が拿捕されたり、沈没したりとなった時に、船と一緒に拿捕されたり、沈んでいくのか、あるいは別の船まで泳いでいけるかは個人の準備の問題である。その段階になって、「船に乗ってるから水泳の練習をしてなかった」と日本丸の船長に文句を言ったところで、どうにもならない。船に乗船しているからという理由で、水泳の練習を日頃からしない。それを私は「平和ボケ」というのだと思う。
結果的に、脱出しようと思えばできるけど、しない。しない理由は結局は日本が好きだからだろう。愛国心と言っていいかもしれない。そういう若者で構成される日本丸が結果的に日本丸を拿捕させない、沈没させることのない強い船にするのだと思う。
私は「ペンは剣よりも強し」という言葉を信じたい。国に要望を出すとしたら、軍を持て、核を持て、ということではなく、いまの若者が少しでも立派なペンを持てるように、教育に最大限の力を注いで欲しい、ということだ。
我々は剣(スタンガン)の恐ろしさを肌身で知っている。今の若者に剣を持たせてはいけない。大人や老人のエゴで若者に剣を押し付けてはいけない。それを上回る強さのペンを若者に与えてあげて欲しい。
最後に
ウクライナの国花はひまわりだと聞く。郊外に行くと至るところで地平線の彼方までひまわり畑が広がっているらしい。
ウクライナの方々にひまわりのような笑顔が一日でも早く戻ることを心より願っている。
(冒頭の写真は私が淡路島で撮ったものです。ウクライナとは関係ありません。)